表面張力



 アレルヤの様子がおかしい。
一番最初に気がついたのが、ティエリアだった。
バディを組む回数が、他のマイスター同士と比べて多いのだから、必然と言えるのかもしれないが。

アレルヤのトレーニングに向かう姿が、尋常じゃない。

まるで、自分を痛めつけるような鍛え方をするようになった。
「筋肉馬鹿」もしくは、「趣味=筋トレ」そんな少々意地悪な捉え方をしたくなるような面を、アレルヤは、持っていた。
だが、ここまでではなかった。

トレーンニングに向かう時の彼の眼が、鬼気迫るものを持つ。
普段穏やかな視線が、きついまなざしに変わり、何物も寄せ付けない。
まるで、何かと戦うような顔つきを見せる。
喉元を、今にも食い破ってやろうとするそんな野生のにおいを、色濃く表す。
戦闘時でもないのに、だ。ぎらついた何かを、のぞかせる。
それに、ティエリアの背筋は、一瞬だけ、冷える。
それを、ティエリアは、自分でコントロールする。

アレルヤの姿は、同時に、張りつめて張りつめて、何かが切れてしまいそうなそんな恐怖を見ているものにも与える。
鋭さの中に、かすかに浮かぶ脆さ。
泣きそうな顔を、一瞬覗かせるのを、ティエリアは、見逃してはいなかった。
水の表面張力。
そんな言葉を思い起こされる。
ギリギリのところで、踏みとどまっている何か。
それが、いつか決壊する予兆にも、みてとれる。
こなすメニューも、格段に増えた。
自主的なものではあるが、滅茶苦茶な組み方だ。
ティエリアにも、もちろん、他のマイスターにも絶対にこなせない量だ。
限界を超えている。
体を壊しかねない量であるのは、ヴェーダに問うまでもない。

何があったのかを詮索するような気も、ない。
ただ、これは、おかしい。

「アレルヤ!!もう、やめろ。」
仕方なしに、声をかける。
反応が返らない。
もう一度、語気を強める。
それに、ようやく、アレルヤが、動作を辞める。
これ以上アレルヤがトレーニングを続けるなら、バディを組まされる自分もこの場で足止めを食うことになる。
アレルヤは、気にしないで、ほかに行っていい、というが、そんなことはできない。
きめられたことは、こなさなければいけない。それは、予定、ではなく、決定事項なのだから。
午後も、スケジュールは決まっている。
だが、無理にひきずって行くような行動にも出ない。

見守る。
言葉はかけずに。
待つ。

アレルヤのトレーニングシャツも、髪の毛までもが、汗にまみれぐっしょり湿っている。
首筋や、背中と言わずトレーニングシャツが水分を吸って黒く染まっている。
それに、ティエリアは顔をしかめる。
充分な水分補給すら怠っていそうだ。
「アレルヤ・ハプティズム。やりすぎだ。」
息が完全に上がりきっているアレルヤからの返事は返ってこない。
膝に手をあてて、苦しげな呼吸を整えようとする。
背中が激しく上下する。

素朴な疑問が、浮かぶ。
どうして、自分を、そこまで追い詰めるのか。
―おまえは、自分を苦しめたいのか?
口に出しそうになってやめる。
何かがあったのは、うかがい知れる。
ただ、それが何かを察する能力は、ティエリアには、決定的に欠けている。
そして、推し量ろうとする努力も。
今、こうして、ここにとどまって、ことの成行きを、見守ろうとするようになっただけでも、ロックオンなら、手放しに喜んで、成長ぶりに、満足げにうなずくはずだ。

「…苦しい。」
落ち着かない呼吸の合間に、アレルヤが、言う。
なぜか、その言葉だけは、はっきり、ティエリアの耳にも届く。
呼吸や、体の辛さを表す言葉ではない。
ティエリアには、その程度の推測しかできない。
もっと、別の何かだ。
アレルヤを、観察しても、その何か、は見えない。

アレルヤの視線は、床に落ちたまま。
長い前髪に隠されて表情はうかがえないし、主語がないので、まったくわからない。
呼吸をするたびに、汗の滴が床にこぼれる。
「・・・・そうか。」
探るのは、あっさり放棄する。
ただ黙って、肯定も否定もしないで返事をティエリアは、返す。
微かに、その瞳をいぶかしげに細めながら。
そこには、不快だという意は浮かばない。
ただ、わからないものを目にしている、そんな表情だけだ。
わからないものを、真剣に知りたがる、そんな色も、混じる。

「・・・・・どうしていいかわからない。」
「どうしていいのか俺にわかるわけがない。」
切り捨てるわけではなく、事実だからそう告げるだけだ。
アルトの声が、静かにアレルヤの耳に響く。
突き放すでもなく、ただ、ありのままを表した言葉。
余計な気遣いのなさは、アレルヤを追い詰めない。
どこか、温かみすら感じられる。
それに、ほんの一瞬アレルヤは、瞳を閉じる。
顔を上げて、顔に張り付いた髪を、指先で払う。
ぼんやりと、その指先を、視線が泳ぐ。

ティエリアは、苦笑する。
しかたないとでもいうように、タオルをほおり投げる。
ちょうど、アレルヤの頭の上に、ばっさりと覆いかぶさるように。
「汗ぐらい拭け。
水分もしっかりとっておけ。
5分、待つ。」
それは、不器用ではあるが。
ティエリアなりの気づかいだ。
それだけ言うと、ティエリアは、自分は、壁に背中を預け、腕を組んで、ご丁寧に、眼まで閉じる。

お互い何も言葉にしない。
二人とも沈黙を厭うタイプではない。
ただ、荒い呼吸の音だけが狭いトレーニングルームに、響く。

ひどい表情をしている、その自覚はある。
きっと、今の自分は、醜い、アレルヤは、そう思う。
泣きそうな、もしくは、ハレルヤのように凶暴な本性を隠せていないか。
そのどちらかだ。
そして、そのどちらも、人にさらしたいものではない。
隠していたい。見せたくない。
せめて、人前でだけでも、毅然とした自分で、ありたい。
無造作に投げられたタオルに、感謝するしかない。
世界を遮断できる。
その下で、震える唇で、必死に笑みを、刻む。
漏れそうになる嗚咽を、かみ殺して。

情けない。
悔しい。
どうにもならない。
そんな思いだけがあふれる。

自分の行動がおかしいのはわかっている。
それでも、止められない。

体を鍛える中で、苦しさに、何も考えられなくなる。
自分の呼吸の音だけが響く。そんな瞬間に救われる。

思い描かなくでいいから。
あの人の姿を。
あの人の瞳の色を。
あの人のすべてを。
全てが、空白の中に溶ける。
何もかもが、鼓動の早さに、消えていく。

沈黙は、こんな時でも、優しい。
だからこそ、なのだろうか?

そして、こんなときだから、気づける。
ティエリアの、まっすぐな視線に。

揺るがない姿勢。
理性的なまなざし。
そして、そこに、かすかに宿るぬくもり。
彼が、惹かれるのがわかるような気がする。
ほんの少し。
―毅然として、ティエリアは、美しい。
気づいてしまう。
あえて、そこから、目をそらそうとしていたのに。

痛みを抱えきれず、顔が歪む。

「さようなら」

アレルヤは、呟く。
小さく。
それでも、ありったけの思いで。
胸の中に残された優しい気持ちだけを、伝えられるように。

その言葉も、荒い呼吸にのまれて、誰にも届かないけれど。








報われない感じで。運動した後って、苦しいけど、若干気持ちが良かったり(爆)

[09年6月 24日]