今は 未来へ続く道
口を、開く。

ロックオン・ストラトス。

ただ、そう呼びかければいい。
何も知らない顔で。

声がのどに詰まる。

―あの人は、もういない。

なのに、全くの別の人物をそう呼ばなければならない現状がたまらなかった。
全く彼と似通ったところのない人物だったら、こんな気持ちにはならなかったのかもしれない。

気を抜くと、影を重ねてしまう。
ニール・ディランディに。
双子だ、それは、無理のないことかもしれない。ただ、極力それを抑えようとする自制心は働く。

思わず表情がこわばる。

それを、目の前の青年が見とがめるように眉をひそめる。その表情の作り方は、とくによく似ている。

一呼吸置く。

ぱすん、そんな音がしたような気がした。
思わず伏せてしまった視線を上げると、青年の手が頭の上に置かれていた。視線が合う。
確かに、彼は笑った。
彼によく似た翡翠色の瞳が細められる。記憶にある笑い方とは全く別の仕方で。

「ライル、でいいぜ?
 無理しなくていいからよ。無理してロックオンって呼ばなくても。
呼ぶ気になればどっちで、呼んでくれても、かまわない。」

そう告げられる。
それ以上は、何も言わずに固まってしまった体を、胸に抱きかかえる。
それは、まるで、泣いてもいい。そんな赦しに似ている。
思わず、ライルの服をつかむ。腕や、背中をつかんで縋ることはできなかった。
そうしてしまえば、もう、立てない気がした。涙線が崩壊しそうだった
人のぬくもりに触れてしまうと。

「・・・わかってる。おまえと、ニールは全く別の人間だ。」
自己弁護のような弱い声しか出てこない。せめてもの矜持で、震えないように。それだけを祈る。
ひどく自分の存在が不確かに感じられる。

感情の波をなだめるように背中や、髪を大きな掌が滑る。
それが、遠い記憶を呼び覚ます。
彼は、ぽんぽんと、優しく体をたたいたけれども、ライルは触れるだけだ。
それでも、体に触れて、心を落ち着かせようとするやり方は基本的に同じだ。
ニールが、彼に初めて与えた優しさだった。そして、ティエリアが初めて受け入れた行為だった。
そして、何よりも大好きだった穏やかな時間を思い出させる。
何があったわけでもない、笑いあえた時間。かけがえのない思い出の一つだ。


「いいよ、わかってるんだったら。
 じゃぁ、そんな顔するなよ。」
顔の輪郭を優しくなぞる。
「俺が、兄さんに怒られる。」
困ったような、それでもどこか笑みを含んだような声が、頭の上から降る。
その一言で、頭に血がのぼる。
「−いない。ニールは。
 もう、いない。もういない!!どこにも!貴方はわかっていない!!」
子供のようにかぶりを振る。しなやかな紫紺の髪が揺れる。
そして、声が悲鳴のように高ぶる。

常とは違う幼い仕草や、言葉。そのギャップに困惑する。
弱っている軽く背中を押してやる、そんな意図だった。
ティエリアが、他のクルー以上に彼に、兄の影を重ねている姿が、単純に切なかったからだ。
自分を見つめている視線に気がついた時。
視線をそらすこともかなわずに、険のこもった瞳をそのまま向けること。
そして、それに気がついて、すまないと、謝るような表情を浮かべること、
彼自身コントロールに戸惑っていることを知るのにそう時間はかからなかった。
だから、必要以上に鬼教官ぶりを発揮されても、心底腹が立つこともなかった。
覚えなければいけないことが膨大すぎ、それに忙殺されたせいもあるのだが。

「わかってないよ、教官殿。
 いるよ、兄さんは、確かに。
 ティエリアのそばに。わかるよ、俺には。
 今、あんたを見てるよ。
―多分、ずっといたんだろうな。気がつかなかったけど。」
それ以上は、言わない。
言葉が届かないなら、時間をかけてティエリア自身が気づくのを待つだけだ。
すぐに出る結果ではないけれど、彼が、自分で歩きだすまで。見守る。
そのために、隣にいることはできる。
それを、選ぶのが正解だ、考える。
例えば、エイミーに向けた気持ちと似通ったものだ。
幼い存在を守ってやりたい。
他者を守ることのできるようになった自分を認めてやりたい、そんな深層心理も働いているのかもしれない。

そして、それはニールがライルにしてくれた思いやりの一つの形でもあった。
彼は、ライルが歩きだすために、距離を置いた。けれども、根本の気持ちは似通ったものだったのであろう。
守ってやりたい、大切にしてやりたい。
自然にわきあがる思いは。
家を出て、学校に通い出した時も、ニールは止めなかった。
ただ送りだしただけだ。
兄へのコンプレックスに苦しむ弟に気づいていたのは確かだ。
けっして、ニールは、思い上がった行為を選ぶこともなかった。
ただ、過剰に反応し傷付いたつもりになっていたのは、ライルだけだった。
けして、無理に言葉にするようなことも、コンプレックスを糾弾することもせずに、
兄は、思いだけを寄せてくれていた。
それに、幼すぎて気付けずに、疎ましく思ったこともあったけれど、今ならなんとなくわかる。
そして、それに感謝できる。
兄が自分を思っていてくれたことに。
あの時期があったから、今ここに立っていられる。
やはり、兄は、自分の半身だと、そう思える。
CBに入ったと推測される時期に急に送りつけられた旧式のスポーツカーも、
今となっては、あまりに不器用な気持ちの表わし方だったな、そう思うと笑える。
それは、あの頃の兄の年を越えてしまったからかもしれない。

小さな声で、謝る。
―気がづかなくてごめんね、兄さん。
まるで、彼自身が子供に返ったように素直な気持ちで。
痛みとともに。

きっと、ニールは今、そばにいる。
もちろん、根拠はない。けれど、双子の自分がそう感じるのだからその直感は信じていい。
今までこんなことは感じなかった。
今は、その気配を強く感じる。

腕を組んで、壁に斜めに背中を預け笑っている、そんな気すらするのだ。
―困った奴だけど、これから、頼むな。
そんな小さな願い事を伝える声が聞こえた気がした。
そして、おれのもんをとるんじゃねぇよ。という牽制の声も。