「ティエリア」 呼びかける。 刹那には、理解できない光に包まれた空間の中て。 今、ティエリアに語りかけるには、このすべしかない。 刹那は、唇をかむ。 猫を思わせる鋭さを持つ瞳が、きゅっと閉じられる。 肉体を失っても、ティエリアの精神がここに存在することを、幸運だと思えばいいのか。 それとも、人としての死を、迎えることすらできなかったことに痛みを感じればよいのか、 わからない。 二つの矛盾した感情に、胸が引き裂かれそうになる。 ティエリアからの返答はかえらない。 そっと、胸の痛みをごまかすように、その名を唇に乗せる。 その声の震えに、刹那自身も気がつく。 それでも、どこかから、ティエリアが自分の姿を見ているのではないか、そんな思いにかられて、足に力を込める。 気を抜くと、足元を持っていかれそうになる。 それは、精神的なものであることを知っている。 だから、自分を叱責する。 毅然と、立て。と。 「刹那・F・セイエイ」 刹那の耳が、聞き間違えることもない愛しい声を捉える。 思わず、姿を探す。 どこにも、その姿を見つけられないことを知っていても。 「そんな声で、僕の名前を呼ぶな。」 命令口調でありながら、どこかぬくもりを感じられる声。 「ティエリア…」 「やめろと言っているそのそばから・・・。」 もう、その姿も、表情も見ることもかなわない。 なのに、その声だけは、聞くことができる。 そこに乗る感情も。 口調から、その表情も、すぐに思い浮かべられる。 なのに。 ―触れることは、けしてできない。 もう、ティエリアという存在は、もう、いないー。 肉体の消滅を、死と捉えるなら、ティエリアは、もういない。 刹那が、葬った。 あの肉体の重たさ、冷たさは、忘れられない。 最後の目を見開いた表情も。 それでも、そんなことは幻だと思いこませるほどその声は、近い。 まるで、包み込まれているような錯覚にすら陥る。 「刹那。」 柔らかく呼ばれる自分の名を、聞く。 それだけで、自分の名前に意味が見出せる。 ここにいてもいいー肯定されて、受け止められている。 その実感に、刹那はほんの少しだけ瞳を和らげる。 一瞬だけ。 そして、それ以上の重さに、表情を硬くする。 現状を受け止めかねる。 忘れることも、 そして、その逆に思いを遂げることも、叶わない。 不在を、受け止めればいいのか。 それとも、ティエリアが、そこに存在することを、認めてやればいいのかー。 誰も、答えを、くれない。 ティエリア自身すら。 「そんな顔、するな。」 「…見えているのか、ティエリア。おれの姿が。」 空気が揺れる。 まるで、ティエリアが、笑ったように感じられる。 「ああ、見えている。 今にも、泣きだしそうな情けない顔をしてる。 自覚がないのか?」 以前と、代りのない口調。 「ああ、わからない。」 「そんなことも、僕が教えてやらなければならないのか?」 無言の肯定を返す。 教えてほしい。 自分が、そして、ティエリアがどんな状況に置かれているのか。 現状を把握したい。 そしてー今のティエリアの思いを。 「嘘だ、僕には何もわからない。 そんな目をされても、困る。」 「みれば、いいだろ。 俺のデータベースも、生体データも、何もかも。」 マイスターのデータは、すべてヴェーダに転送されている。 個人の感情値すら送られているはずだ。 それを、みれば、何もかもがわかるはずだ。 刹那自身解決のしようのない物の名前も。 「…・見ない。 見る権利がない。」 声が、弱くなる。 瞳を細め、弱くほほ笑む表情が、思い浮かぶ。 その髪に触れ、慰めることもかなわない。 「みて、かまわない。」 見てほしい。 すべてをさらけ出すことにおびえるほど幼くない。 視線に力を込める。 先ほどの弱さはすっかり影をひそめ、精悍な表情に戻る。 それが、刹那の本来の表情だ。 見られて、やましいことは、ない。 ただ、ティエリアを、思うだけ。 それ以上も、以下もない。 思いは、揺るがない。 「さよなら。」 そう、告げなければいけない。 これから、自分がどうなっていくのかはティエリアにすらわからない。 このまま自我を保ったまま、時が過ぎていくのか。 いずれ、ヴェーダに完全に取り込まれ、記憶も、思考もすべてなくしてしまうのかー。 きっと、今、この時間はかけがえのない時間なのだろう。それだけは、悲しいほどにわかる。 肉体を持たない今、泣くことすらできない。 涙が、すべてを解放させてくれるものであったことを思い知らされる。 全てが、ティエリアを、攻め立てる。 刹那の祈るような、泣く寸前の表情も。 触れられない距離。 愛しさだけが募る。 ―さよならも、いえなかった最愛の、かけがえのない相手との。 別れを、告げるための残された時間。 言葉を、噛みしめる。 「刹那。 きいてくれるか?頼みたい。」 「ああ。」 返答は短い、その毅然とした姿が、心を揺らす。 ただ、前を見つめる強さ。 求めて、得られなかったティエリアとは種の違う強さ。 意志。 それに、焦がれる。 お互い持たないものを、相手が身につけているから。 求めて、高めあう。 「幸せになってくれ。誰もが、羨むぐらい。」 「そんなことはできない!!」 激した声を刹那が上げる。 奪い過ぎた、傷つけた腕や、足で何を望めというのか。 どうやって。 迷いも、苦しみも、すべての重みを抱えたままで、たった一人でー。 「わかっている。私たちがやってきたことの中身は。 それでも。 あなただけは、幸せになってほしい。そう思うことは間違っているというのか? 僕は、みんなの幸せなんて望めない。 せめてー」 そのあとの言葉を、ティエリアは、紡げない。言葉だけが、揺れる。 刹那も、口に出しかけた言葉を飲み込む。 ―自分が、そこまで、望まれ、愛されていることを目の前に、突き付けられて。 「ああ。」 万感の思いを込めて、返事を返す。答えはそれだけでいい。 理屈も、何も要らない。 それが、大切なティエリアの願いなのだから。 刹那が、聞いたたった一つの。 そして、これからは、もう、発されることのない。 最後の願い。 「ティエリア。 俺からも、一つ教えてほしいことがある。 おまえも、幸せ、だったか。幸せだったと感じたことはあったか?」 ―刹那。 あなたから与えられたもの。 あなたがいたから見られた景色。 あなたがいたから知ることのできた希望。 ぬくもり。 何もかもが、特別だった。 言葉にはしない。 ただ、ティエリアの意を反映するように、空間自体が揺らめく。 穏やかに。 刹那は、その光を、いとおしそうに眺める。唇に小さな笑みを浮かべて。 目元に滲む涙を通して、ひどく輝いて見える。 自分を包むすべてが、白く揺らめく。 まるで、あの人の姿のようにー。
最後、誰とも向き合えなかったロックオンも、ティエリアもかわいそうだぁ!!ひでぇ!!で、若干の自分的救済策。
ティエリアの意識は、穏やかに幸せな中で消えていってほしいなぁなって。永久にとらわれたままじゃ、あんまりだなぁ、と。
[09年4月8日]