ただ それだけで

生死を危ぶまれた山本は、かっきりと奇跡を起こして、復活した。
歩くことは、できなくなったけれど。

あれからの山本は、驚くほど以前と変わらなかった。
歩けなくなったことを差し引けば、だ。
俺は、それを嬉しく思っていた。
―そして、それ以上の嫌な予感を。

「なぁ、獄寺んちに行きたい。」
10代目のいないところで山本はそういった。
車いすを押しているせいで、その顔は見えない。
・・・ただ、俺の家は、3回だ。エレベーターがない。歩けない山本を背負うか何かしないと無理だ。
「・・・むり、だよな。んじゃ、いいや。」
それを打ち消すようにわざわざ後ろを振り向いて早く行こうぜ、と笑ってみせる。
それに、しくじったことを知る。
何か大切なことを山本は隠した。それが伝わってくる。
「おい。野球馬鹿。」
「ん〜?」
「行くぜ。おれんち。」
有無も言わせずに、車いすの方向を変える。
それっきり、なぜか山本は何も言わなかった。
そして、俺も何を話せばいいのか分からず、ぼんやりと空を見ながら車いすを押した。
よくよく考えてみれば、こうして二人きりになったことはなかったような気がする。
色々言いたいことも、話したいこともあったのに、言葉にならなかった。
きっと、それはやつも同じ。
二人して考え込んでいた。同じことかどうかはわからないけれど、沈黙だけは二人に平等だった。
アパートの前で、車いすを止める。
ちゃんと、ストッパーを引いて、脇に寄せる。
その前に、かがみこむ。
「んじゃ、つかまっとけよな。」
山本からの返事はないけれど、腕が回されて体重がかけられる。タイミングを見計らって、立ち上がる。
背中に乗っかる山本の重み。
そして、視界に入るがっしりとした腕。バットを振り回していた筋肉は少しも衰えていない。
俺のものよりも、骨太で男らしい。
それと、この状況が胸を締め付ける。
本当なら、今頃もボールを追って走り回ってた、はずなのに。
それきり、思考を止めるために、弾の一つ一つをにらみつけて、心の中で段を数える。
「・・・・わりぃ。」
「わぁってる。黙っとけよ。耳元でうるせぇこというなって。」
一歩、一歩歩いた。一段一段をかみしめて。汗が顔を伝った。息もあがる。
けれど、それを感づかれたくなくて、必死に我慢する。
何度も、大丈夫か?と声をかけられたけど、意地で「余計なおせっかいだ」「余裕だ」等冷たく返してしまった。
かけられる言葉からどんなに情けなく、辛く感じているのかが伝わってきてしまってどうしていいのか分からなくて。
それに反する気持ちが働くのも事実。
嬉しい。どんな形でも、山本がいてくれることが。
そういってしまうことが余計傷つけてしまうんではないか。
そんなことを思うのに、今この瞬間が幸せだ、心がそう喚いた。偽らざる気持ちだ。。

山本をやっとの思いで、部屋にあげて、ソファに座らせてから、即車いすを取りに一回に戻った。
車いすを抱えても、3分もかからない。さっきは、15分近くかかったのに。
それが、切なかった。
唇をかむ。それを振り切るように頭を軽く振って、部屋に戻る。
もちろん、車いすの車輪を拭くことも忘れないで、山本のそばのソファに寄せる。
「悪いな。」
「は?余裕だから、気にするなって、逆にうぜぇ。なに飲む?コーヒー、コーラ、紅茶、なんでもあるぜ?」
「じゃ、コーヒー。」
いつもと違うセレクトに、少し疑問を感じつつも、いそいそと台所に立つ。
正直、今直に向き合うのはつらかったので助かる。
顔が異常に暑い、さっきのなれない労働のせいで真っ赤になってしまっている。
それを少しでも覚ましたかった。何でもないふりをしたかった。
何を話したのか、お互いにどうでもいいことを話した。
俺が野球馬鹿をののしって、ひでぇ、と笑って、いつも通りの会話。
さっきの沈黙がまるで嘘のようだ。
ただそれがうれしくてうれしくてたまらない。思わず、泣きそうになる。
なく代わりに、俺の軽口はどんどんとまらなくって、しおらしいことはかえって出てこなくなる。
いつもの二人の空間。俺と山本が過ごしていた時間だ。
一緒に住んでんじゃねぇのってぐらい一緒にいたこの部屋に、山本が帰ってきた。
あいつの声が響いているせいで、部屋がひどく温かく感じられる。
いて、当たり前だった。
いなかったのが、おかしいんだ。
そう改めて思う。

コーヒーをいれて、
山本の隣に腰掛けようとして、やめた。
最近は、車いすを押すことが多いせいで正面から顔を見る機会が圧倒的に減った。
サイドテーブルカップを置いて、胡坐をかく。
正面からやつの顔が見える位置で。

大けがからの回復後間もないせいか、顎の線がシャープになった。
そして、ひどく透明な水分の多そうな眼をしている。
そのせいで、今までみたいに感情が読めない。それを大人びたというのかもしれないけれど。
俺が大事だと思う人間の輪郭を改めて目に焼き付ける。
こんなこと思わせるって、なんだかんだいってこいつすげぇなと思う。
今まで、自分と十代目以外に興味のあることなんてたいしてなかったはずなのに。
ほんの少し、何が起きても忘れないという後ろ向きな考えも浮かんで、じっと見つめる。

「てめぇが生きてて、今俺の目の前にいて、すげぇ幸せだ。」
その程度のことは、言えそうな気がした。口をひらこうとした瞬間俺の耳が捉えたのは、残酷な言葉。
「な、獄寺。終わりに、しよう。こういうの。」
毅然とした声。決定事項を伝えるだけ。一語一語がやけにはっきりと耳を撃った。

俺はしばし瞬きを繰り返す。
正直、いつか来るとは思っていた言葉だった。山本が歩けないこの現状では。
だから、ものすごく驚いたということもなかった。それでも、心臓は確実にとびはねた。
ああ、来るべき時が来たのか。
覚悟を決める。
逃げない。抗え。
山本の目は、どこまでも静かに俺を見ていた。
静かな決意が見て取れる真剣な色。
その瞳の中に俺が映る。それを俺もただ黙って受け止める。
視線はそらさない。

「・・・・・わかった。」
静かに、それを告げる。
「なぁ、山本?さいごに、聞いていいか? 理由は?」
答えはわかっている。
俺を不幸にしてしまうから、とかそういった類の言葉だ。自分の体が生む様々な障害や弊害。
それに対しての答えは決まっている。
だから、怯えることはない。俺は、明確にそれに対する言葉を持っている。
そして、別れを覆すだけの理由も。
信じてるなら、本音でぶつかるしかない。
たとえそれがどれだけかっこ悪くても、譲る気はしない。
本気だ。

「俺といたら、獄寺は、幸せになれない。 だって、今だってしんどかっただろ?
たかが、自分ちに俺を呼んだだけだぜ、必死になって顔真っ赤にして、ようやくだろ。
そんなこと、これからどんだけ出てくると思ってんだ?」
ああ、予想だらけの答え。
明らかに俺の負担にはなりたくない、俺に幸せになってくれっていうあいつの思いが伝わる。
あいつは、俺を諭すような口調で言うけれど、それは、あいつ自身にも言い聞かせているのだろう。
自分の行動は、間違いじゃないと。
確かめるんだろう、俺の幸せを願って。
本人は隠しているつもりだろうけど泣けてくる。
俺が絶対持てないまっすぐさ。
人を思いやれる強さを。俺の大好きな部分。
憧れて、愛しく思う。
光に愛された子供。
「そんなんじゃない。わかってないのは、おまえだろ!?」
俺が反論するとあいつが、我慢できずに吠えた。
「俺だって、自分のことで手いっぱいだ。
 それぐらい、わかれってんだろ!?
 逆に負担だ。」
がつん、とサイドテーブルを力任せに叩いて、怪我をしてから始めてみせる感情の波。
「てめぇが、俺を選んだと思ってんだろ?」
始まりは山本からの告白で、なし崩し的に始まって、そのうち、俺がほだされた。
どころでなく、はっきりいって墜ちたとしか言えない。
もう、こいつなしではいられない。
そこまで思いつめてしまうぐらい。

山本が歩けないという宣告を聞いてから、買いあさった医学書や介護の仕方の本で、引き出しの中はいっぱいだ。
一緒にいる手段がほしくて、必死の思いで、知識と理論を詰め込んだ。
やつと快適にいるために、少しでも、その重みを取ってやりたくて。
離れたくなくて。
少しでも、受け止めてやりたくて。
それができれば、俺の隣にやつがいいる理由ができるんじゃないか、そう信じ込んで。
山本は、抗っている。現実を否定してその上に立とうとして、それができなくて苦しんでいる。
それを、決して表に出そうとしないこともそれを加速させているのはわかっている。
ただ、それをうまく引き出してやれなかった。

「俺は、幸せになれる、てめぇがいなくても。
 俺が、選ぶ。自分の幸せぐらい。」
そんなことは嘘。それでも、俺は笑う。震える手を隠して煙草を吸う。
「なぁ。でも、聞いてほしい。」
この声は、届くだろうか。精一杯の思いを込めて。
声を荒げないで、穏やかに伝える。しんと、心の奥が冷える。
血の気が引くってきっとこういうことだ。
「俺の幸せは、てめぇの隣だって決めてる。
俺が、選んだんだぜ?」
だから、この手を取ってほしい。
俺の望みを否定するな。そんな権利はお前にだってない。
きっと誰にも。

掴んだ手を絶対離さない覚悟も自信もある。そうでなければこんなこと絶対言わない。
だから。
「山本。もう、二度といわねぇ。
ずっとそばにいてほしい。
お前がいること俺のが幸せの形だってこと、これだけはいっておくけどよ。
お前が、歩けなくても生きてるってだけで十分だ。
・・・・幸せなんだぜ、てめぇの目が覚めた時のことは忘れらんねぇよ、一生。
神様っているんだなって、まじに思ったし、感謝した。」
唇を湿らせる。
決断を下すのは、あくまでもあいつ。これが俺の思う最善の形。
その権利を奪いたくはない。自分のわがままであいつを縛りたくないのは俺も同じだ。
俺たちは全く違うようで、最終的に選ぶ道はひどく似ている。
それが、お互いを快く思える理由。
安心して背中を預け合って、じゃれあえる理由。

伝えたい気持ちは、全て込めた。例え間違っていようと、伝わってほしい思い全部。
「そのうえで、お前が別れたいっていうんなら、何も言うことはねぇ。
このまま階下まで運んでやって、この関係は終わり。後腐れはないぜ?最期を選ぶ権利は、おまえにやるよ。
・・・・・お前が始めたことなんだから。」
そのうえでの答えなら、受け止めよう。
たとえそれがどんな形でも。
そういいながらも、涙線が嫌な熱の持ち方をする。
答えなんてわからない。心が揺れる。思わず目を伏せたのは、俺の方だ。
フローリングの木目を目で追う。自分ちでそんな事をしたのは初めてだ。
返事はかえらない。
もう、駄目なのか。
俺だけのわがままなのか、間違いなのか。同じところを思考が回る。
「・・・・ごめん。」
「・・・・そっか。わぁった。」
別れを受け入れよう。最後なら、笑って余裕の一つでも見せよう。
なくなら、その後だ。それが、俺の誇り。
山本を無事に家まで送って、だ。その程度は冷静に頭が回る。
理論が俺を助けてくれる。
大丈夫、そのぐらいならできる。
視線を上げる。あげた視線の先には、なみだでびしょぬれの山本の顔。
ごめんの意味を俺も取り違えていたことを知る。
山本の手は、精一杯俺に向かって伸ばされていた。
それ以上、今の山本には動くことすらできないのを知って、俺は泣いた。
体も、ソファの上から中途半端にずり落ちていて、ひどい格好。
実感が伴う。背中に山本を背負ったとき以上に。
現実に触れる。
あいつがどんなに望んでも、その体は限界を超えて動くことなんてできない。
これが現実だ。
受け入れて、二人で越えていかなければいけない壁。
想像以上に高い。
それでも、決して越えられない高みではない。絶対に。

はじめて、だ。我慢できずに声まで上げて泣いてしまったのは。
その勢いのままで、山本に抱きつく。
「ごめん。獄寺。俺ひどいこと言った。」
ごめん、ごめん。幾度も繰り返される言葉を、唇で止める。
もう何もいらない。
これからも一緒にいられるなら、もう何も望まない。
繰り返すキスも、ひどくしょっぱくて、色気も何もない。それでも、何物にも代えがたくて。繰り返す。
ただ、お互いを必要としていること。それだけを伝えるために。
涙にまみれて、今の俺たちがどんなに馬鹿げているのかを考える余裕もなく。
キスを何度も、何度も重ねて。名前を呼び合う。
祈りも、願いも全て込めて。




		

コミック、微妙なところで切れていた時点で書いたので、後のことがつじつま合わないだろうが、妄想は自由(爆)