「獄寺氏」 俺の上にのしかかった男が、切なそうに俺を呼ぶ。 大人とも、子供とも違う狭間。そのどちらにもなりきれずに、声を震わせる。 こんな状況は、いつか想定できたはずだ。 それでも、そんなわけない。とか、頭のどこかで否定していた。 ある程度想定したせいなのか、俺は落ち着いていた。ぎしりとベットがきしむ音を聞く程度には。 俺の腹の上にのしかかっているとは思えないようなランボの苦しそうな顔を見つめていた。 抵抗することもなく。 苦しくないのは、あいつなりに気を使っているからだろう。 バカ牛も、大人になった。 きっちり、年の分だけ。 それでも、俺の中では、バカ牛は、バカ牛のまんまで。 俺の中では、まだ、もじゃもじゃ頭のまんま、お菓子を求めて大騒ぎして、 泣いたり笑ったりを繰り返してたあの頃のまんま。 こ憎たらしい弟分。 それは、ボンゴレにやってきてお互いそれなりのポジションを得てからも変わらなかった。 「・・・・どけよ。」 「いやだ、っていったらどうする?」 わざわざ敬語を外して言う。 ここ最近では、ひどく珍しいことだ。大きな目が俺をまっすぐに見つめる。 涙で濡れそぼっているからだろう、やけに水分が多くて透明に見える。 腕を伸ばして、その頬をなぜる。 なだめるように。 あの頃は、ビービー泣いて大騒ぎして、うるさかったのも、年を経るごとに減って、 今では、だいぶ分別をわきまえてきている。 なのに、泣き虫なのは変わらないなんておかしなもんだ。 ―俺に求めようとしていることを知っていた。 「僕の気持ちぐらい、わかってる?」 「ああ。」 低い声で返す。 不出来な弟。こにくたらしいワルガキ。いくら大人になっても、変わらない、よくも悪くも。 このポジションは、山本とも、10代目とも全く違う位置づけだ。 それでも、ランボの位置は俺の中ではなくなったことはない。 意識しなくても、その場所が空っぽになったことはない。 夜更けに来て、コーヒーをねだっていったり、 徹夜で部屋に変えるのがめんどくさいとか言いながら、ソファを占領していったり。 とりあえず、俺の周りにまとわりついていた。 ただ、それが不愉快だったかと言われると、その逆とも行っていいぐらいだ。 いちいち遊びに来るたびにチャイムを鳴らされるのが面倒くさくて、自室の合鍵を持たせていたぐらいだ。 だから、俺が帰る前にちゃっかり入り込んで、ベットを占領していたこともある。 そのくせ一回もご飯とかを作ってたことはなかった。 どころか保存食を食い散らかされたこともある、それはもっと小さい頃だったけれど。 あ、その頃は、鍵なんて渡してなかったはずなのに、なんでだ? とか、どうでもいいことが胸を過ぎる。 ―それが、別な意味を持ち出していたのは、いつから? その意味は、知っていた。おれがあいつに向けるのと同じ種の感情。 知っていた?見ないようにしていた? 違う。知っていた。はっきりと。 「残酷だね、獄寺氏。」 静かな声。責めるでもなかった。 それが、俺を苦しくさせる。 目を伏せる。精一杯横をむいて、顔を背けても、上からの視線は避けられない。全部見透かされる。 その感覚に、たまらなくなる。 力で振り払おうと思えば、十分振り払える程度の力しか加えられていない。 なのに、それをしようとしないのはなぜだかわからない。できなかった。 「好きだよ、隼人。」 大好きだよ、耳元で囁かれる。好きというよりは、苦しい。助けて、の声に聞こえる。 だから、その頭を胸元に抱き寄せていた。 ためらいもせずに抱き寄せたことで、拒否の言葉よりも、はっきりと意図は伝わったのだろう。 本格的ななき声が漏れる。 こたえることはできない。はっきりと行動で示した。 最大限の親愛の情を伝えることで。 昔、ランボが俺のことを単なる小うるさい喧嘩仲間だと思ってた時と同じやり方で、抱きしめる。 以前と変わらないやり方を示すことで、これからも関係が変わらないことをランボは悟る。 例えば、この状況に俺が嫌悪感を感じるならこいつを力づくでも排除する。 そういうことだ。 言葉にすれば、言い訳が混じる。 俺だって、まっすぐな思いにこたえられなければ、逃げを打ちたくなるが、それは、狡い。美学に反する。 そして、これからも、お前は俺の特別だ。 それは、お前が俺に向けるものとは別だけれど。 それを伝えたくて、名前を呼ぶ。 一回だけ、強く、想いを込めて。 あの頃よりは、落ち着いた、それでもくせの強い髪をぎゅっと抱きしめて、指先ですく。 ぐしゅぐしゅと、鼻をすする音。ぼたぼたと胸元に熱いしずくが垂れる。 昔と同じだ。 その当時は、抱く、や、抱きしめるという単語よりも、だっこっていうのが一番近かった。 もう、そんな図体じゃない。俺の腕では、抱えられない。 「ごめん。ランボ。」 「・・・・・・許さない。」 「許さなくていいぜ。」 背中を撫ぜながら、天井を見上げる。小さく背中が震える。 いっそ、受け入れてやれればいいのに。 嘘でも、俺も言えればいいのに。「好きだ。」とでも。「俺もだ」とか。と だけど。 俺には、忘れない想いがある。 小さな小さな火になっても、消えずに残っている。 小さくなった分、もう揺れもしない。たしかにその存在感を伝えている。 誠実な思いでないなら。 体だけを望む欲望だけが先行するような思いなら、いくらでも、与えられたのに。 ―俺に、そんな価値はないから。 俺と、ランボが望むのはひとつだ。 お互い違うベクトルに向かった。だから、俺には与えられない。 安易な答えは、楽なところに流されるなら、それは単なる裏切りだ。 失う覚悟ででも、この思いに応えるわけにはいかない。 胸の中に穴があいたとしても、それを抱えてでも歩かなきゃいけない。 ランボを。 そして、あいつを思うなら。 思う権利があるのだとしたら。 俺の上から体をよけて、立ち上がる。 許さない、俺を愛しそうに見つめて、微かに唇を動かす。でも、確かにランボは、笑った。 「大好きだよ。隼人。ずっとかわんないから。」 涙で濡れた目のままで。俺も、やっとベットから体を起こす。 「―いつか。獄寺氏の思いが叶ったら、祝杯を上げてあげるよ。」 わかってたんだ。その目が言う。黒い瞳は、穏やかな色を漂わせている。 泣いたのに、傷つけたのに。 それでも、俺を好きだと言って。慈しむような愛しさを込めて、俺をまっすぐ捉える。 「ありがとう。鍵、ここにおいておくから。」 「いい。もっとけ。いちいちくんのに、チャイムならされると迷惑だ。」 サイドテーブルに置かれた鍵を放る。 「え!?え・・・?」 鍵は、音を立てて落ちた。苦笑いをして立ち上がってそれを拾う。 きっちりと、ランボの手のひらの上に乗せて握らせる。 そういうことだ。 俺は、いつもお前のそばにいる。 道に迷ったら、ここにくればいい。 大事な、かけがえのない、そんな形容詞じゃ足りないぐらいの相手だ。 いつもここにいる。 いつだって、待っている。 でも、それは、押しつけじゃない。 選ぶのは、ランボだ。 緊張を覚える。 俺の思いが独りよがりで、こいつを苦しめるものではないのか。 目をまん丸にしてほんの数秒鍵を見つめる。 そんな小さなことに俺は緊張を覚える。 ようやく、上着のポケットにそれをしまい込んだのをみて、のんでいた息を静かに吐き出す。 「ありがとう獄寺氏。・・・・・嬉しい。」 いらなくなるまでは、出来の悪い弟の面倒は見てやるつもりだ。支えてやりたい。 背中を押してやりたい。それは心からの思いだ。 泣きたくなる。 それを言葉にすることもできなくて、それでも、吐き出したくて。 「飲むか?ロマネコンテュ。お前の生まれ年のあけてやる。」 「・・・・そうだね、終わった恋に。」 「変わらないモノのために、だろ?」 歩き出さないのを肯定の意味ととって、ワインを取りに玄関に向かう。 泣きたいのか、笑いたいのかわからない思いが交差する。 「乾杯」 グラスを交わす。言葉少なに時間はすぎる。終わったものと、変わらないもののために。 静かに、様々な意味を持って。
[11年3月 28日]